●死を覚悟した瞬間ってありますか?

2chから

134 :おさかなくわえた名無しさん :05/07/13(水) 17:34:28 ID:5GInmmc1

いまだにトラウマなので言葉が詰まってしまうのだが...
阪神淡路の大地震があったとき、
漏れはペンシルビルの8階で徹夜(明け)でプログラムのデバッグをしていた。
突如、突き上げられるような衝撃を感じた。
その後洗濯機で攪拌されるされるような揺れ。
机とイスごと体が翻弄された。
壁際の書類キャビネットがバタンバタンと倒れ、給湯所の食器類は飛散し割れ、
パソコンのディスプレイが何台も飛び(ホントに飛ぶ)、
天井の蛍光灯がクラッシュして降ってくる。
体を机の下に隠すなんてことはできない。
机にしがみつくだけ。
気がつくと机ごと体がずり落ちていく感覚が。
ビルが傾き一切合財がすでに割れた
窓に向かって突進していく。かなりの勢いで吸い込まれていき、
窓際の鉢やら辞書やらはすでに外に落ちていく。
主観的には世界がモノクロのスローモーションに感じられる。
ああ、このままではビルから落下するな、と考えているもうひとりの自分。
続く

141 :おさかなくわえた名無しさん :05/07/13(水) 21:48:14 id:qm6AjQ+D

>>134
スゲー…
九死に一生スペシャルに出た方がいいんじゃね?

136 :おさかなくわえた名無しさん :05/07/13(水) 18:01:46 ID:5GInmmc1

どうにか無理やり体を机の下に潜り込ませて、床に這いつくばる。
体の上を色々な物がぶつかり落ちていく。
気がついたときには窓のすぐわきの壁を足で踏んでなんとか留まっていた。
額を切った血が目に入り沁みる。でも、とりあえず命だけは助かったとホッとした。

ビルはおよそ15度ぐらい傾いていた。
この状態ではまっすぐには歩けない。
這うようにして非常ドアを開けようとしたが、ドアは開かない。
何度か体当たりしていると、勢い良く体が外に飛び出てしまった。
? 外階段がない!?
落下した。鉄製の外階段が一部崩落していた。
結果的に6階の階段まで落ちた。体の半分は宙ぶらりんで。
その後も途中、部分部分で崩落していたが、ダイハードジャンプを繰り返し
地上に降りた。へたりこんだ。ビルを見上げると主観的には30度ぐらい
自分のほうに曲がって建っていた。周りを見ても早朝のビル街に人気はなかった。

その後豊中の自宅まで4時間歩いて帰った。途中の記憶はあまりない。
自宅は食器類が割れて散乱していたが、とりあえず大丈夫だった。
気を失うようにして寝た。
自分が行方不明として大騒ぎになっているのを知ったのは翌々日のことだった。

おしまい

150 :おさかなくわえた名無しさん :05/07/14(木) 19:03:15 ID:6UJ1LNoQ

>>136 の後日談
二日後に避難先の小学校に上司がやってきた。

上司「生きてたか!良かった!!」
自分「なんとか生き延びました。わざわざ探していただいてありがとうございます」
上司「おお、探した探したよ」「で、デバッグ終わってる?」
自分「!???」
上司「だから例の案件」「月末までに完納しないとまずいだろ」
自分「終わるも終わらないもあの状況ではわかりません」
上司「それは困る、すぐ探しに行こう」
自分「無理です。エレベータも階段も使用できるわけありません」
上司「なんとかならないのか!」
自分「事務所の惨状ご覧になってないんですか!?」
上司「見てるから聞いてるんだ!!」
自分「だから無理です、無茶です」
上司「どこかにソースは残ってないのか!(怒)」
自分「おそらく家のパソコンに10日前ぐらいのソースはあったと思いますけど...」
上司「ならそれでもいい。すぐにそのソースを元に完成させてくれ」
自分「はぁ?電気も復旧したないのにどこで開発するんですか(怒怒)」
上司「パソコン持って静岡のクライアント工場に行け!(怒)」
自分「これから?」
上司「そう、これからすぐ」
続く

151 :おさかなくわえた名無しさん :05/07/14(木) 19:33:03 ID:6UJ1LNoQ

結局、パソコンとともに静岡のクライアント工場に行くように命じられた。
独り者の気楽さはあるにせよ、鬼の仕打ちとしか言いようがない。
上司にとっては私の命が大切なのではなく、開発中のソフトが大切なのだ。
それにしても大阪を出るまでにどれほど苦労したことか。(自分ひとりで移動)
1日半かけて静岡の客先工場に出向いた。
客先でもねぎらいの言葉もそこそこに開発を継続させられた。
3軸マルチコンカレント稼動の、とある製造装置用ファームウエアだ。
普段使っているツールがないので生産性がなかなかあがらない。デバッグも困難を極めた。
その後4日間缶詰。完成したときには震災のことも遠い昔のように思えた。
その工場の正門を出たときに会社を辞めることを決めた。
大阪のマンションには大事なものは残してこなかったので、そのまま東京に向かった。

今、私は東京でやはりシステム屋として生計を立てている。
大阪を出奔したことは後悔していない、というか正解だった。
委細は伏せるが、前の会社にいたら生涯年収ぐらいの金額をすでに稼いだから。
九死に一生の大地震だったが、そこで一生を得たことで私は生まれ変わったのだと
思いたい。

大阪は大好きだ。震災のことは今でも忘れられない。
でも、もう大阪には戻らない。

おしまい


すげー話だ