空気を読むリーダーシップ

相手に何かを伝えることが
コミュニケーションのみに限定されてきて
行動で示す事が困難になってきている・・・
コミュニケーションの手段は増えても
コミュニケーション自体は変わらない
ブックマークに散見していたのでリンクを纏めただけです・・・

才能が無いからと諦めていないか?
リーダーシップは生まれつきではなく
ちょっとしたテクニックと心の強さで決まる
簡単に諦めてしまうのではなく
常にやり方を変えて挑戦し続ける
他のリーダーになぜあのような選択をしたのか聞いてみよう
日本人が相手に質問する時は自分と同じ日本教かそれ以外かを確かめる為にする
日本語とは論理無き言葉
日本人は対人関係に置いてノイローゼになる
日本という世界は、一種の天秤の世界
これの支点となっているのが「人間」という概念
天秤の皿の方にあるのが「実体語で組み立てられた世界」
分銅になっている方が「空体語で組み立てられた」もう一つの世界
日本人は全員が無神論者であるが、
日本教は宗教でありうるのは
日本教では「人間は被造物」でなく「神が被造物」であり、
かつ「空名」だからです。そこで必要に応じていつでも「神という空名」を創出できる

日本を取り巻く空気の正体

「神は空名なれども名あれば理あり。理あれば応あり」
「天皇絶対」(空体語)といいながら、「上官絶対」(実体語)だったような人間関係
ネットコミュニケーションで熱心なのに浮いてしまう人が居ます
この人達に見える共通点が参加者の発言に関心が薄いことです。
コミュニケーションはキャッチボールだと言われますが、
「ボールの投げ合い」になっておらず、ピッチングマシーン(笑)のように
一方的にボールを投げ続けているのです。
そのボールが、誰も取れないような剛速球(^^;)に見えるところもよく似ています。
では、一体何故、今の日本では「空気を読む」ことがこれほど重視されるのか。
1つには、昨今様々なハラスメントが話題になっているように、
人の感情を害すること、気分を悪くする事を極端に避けようとすることがある。
しばしば聞かれる「人に迷惑をかけなければ何をやってもいい」というのは、
逆に言えば、「人に迷惑をかけることは避けたい」ということである。
総じて、人間関係が脆くなっているということなのかもしれない。
そのような中で、「価値観の多様化」ということになると、
共有しているコンテクスト(比較的静的なコンテクスト)がだんだん減ってくる訳だから、
会話の流れや相手の感情の変化を素早く読み取って臨機応変に対応していかなければ、
まさに私たちが避けたがっている、人の感情を害する状況に、すぐに陥ってしまう。
伝統的な「あうんの呼吸」はもはや死語なのかもしれないが、
多くのコミュニケーションシーンでは依然として行間の大きい場合が多く、
「静的な文化のコンテクスト」が相対的に小さくなった分、
「動的な状況のコンテクスト」を読む力がより要求されてくるのである

今までのカリスマ性、牽引力型のリーダーは衰退しつつあり
これから必要とされる能力はこういうモノなんだろうなぁ

空気とは一体何なのか
それをうまく伝える事が人間力(死語?w)なのかなぁって

男女の双方から見た場合の例が下の記事です


出会い系ってのが気になるけど・・・?w

しかしそれを「モチベーションの比重」と考えると納得もいきます。
比重は物質生来の性質なので、変わりようがないのです。
複数の人々が関わる場合、
ようするにありとあらゆるコミュニケーションには必ず存在する
この「比重の違い」というものをどうやって吸収していくのか。
もしかするとそこらへんに
『恋愛と仕事の達人』になるためのヒントが隠されているのかもしれません。

こういう事に通ずるのかな・・・
こうなると何処かの誰かがリーダーをやるというよりは
チーム全員がこういう能力が必要とされてくる・・・
新しい人付き合いの能力になる気がした・・・


え? そんなの常識だって?