弦外の音を聴く力
いかなる芸術作品にも外面には現れ出ないものがあり、 文学では言葉を尽くして意味を尽くさずといい、 西洋人はbetweenlines (行間、「言葉の裏の意味」の意。原注では「弦外の音」) と言っています。 作者は心に感じたことを書き尽くすことはできないし、 人に与える啓示はしばしば作者自身の予想を超えています。 絵画、彫塑、演劇などは、みなこの潜在的な境地があります。 しかし音楽が表現するものは最も揺れ動いて、 最も捉えがたく、最もつかみどころがなくて確かめようがないものです。 弦外の音はほかの芸術よりもっと豊かで神秘的であるようで、 だから普通の人は探求するのを怠り、 何か弦外の音があるということさえ全く感じることができないのです。 実は真の演奏家はこの潜在的な境地 (すなわち『淮南子』にいう「無音の音を聴く者は聡なり」。 無音の音がこの隠された境地を指すのでなければ何でしょうか) を理解し、それを表現できるよう努力すべきです ──その理解が全て正確とは限らないにしても。 『君よ弦外の音を聴け』樹花舎p262 2004年5月25日初版 榎本泰子訳、原著は『傅雷家書』(傅敏・編) 「PUBLICITY」より
これもやまざきさんの言う「眼力」に通じるナァ・・・