ヒエラルキー型組織とネットワーク型組織とか全能感(まだいってんのか)とか

コミュニケーションラインを複雑に張り巡らしてあるけど、あれって情報を中心に据えてデザインしたらこうなった…みたいなことなんだろうなぁ…
絵にするとこんなん。

トップダウンでオーダーを掛けるデザインだと離れるほど減衰してしまう。
さらにパワー(権限)と情報が癒着していることで情報の価値すらも変わってしまう(下からの情報は上に行くほど減衰する)。
なのでパワー(権限)と情報へのアクセス権限を切り離した。
ネットは全ての情報を等価値に扱えるツールで、GoogleAmazonは中心に情報を据えて公平にデザインされている*1
人は情報へのアクセスに差があると感じると不満が出る。
ここで全能感だけれど、全ての情報が等価値*2のように見えるインターフェースを使用しているために、そこの情報の一片にさえなれたら充足してしまう。
コミュニティっていうのは情報の周りに人が集まっている様相であって、情報が飽和し変化がなくなれば消滅に向かう。
X理論、Y理論も情報の配置の仕方によって生じた人間の動きと捉えることもできるか。
情報へのアクセスの利便性で差を感じてしまうから情報を売りにしているマスコミとかは叩かれるし、情報の集まりやすい都会VS情報の変化の穏やかな地方とか社内外の情報が集まりやすい営業VS技術情報が会社間で集まる技術屋とか新人は三年で情報がシステムの犠牲になっていると感じて辞めるとかなる。
情報の動線をデザインするのが肝なんかなぁ。

*1:比べてmixiはてなとかあるけど割愛。twitterの文字数制限はどこからもサルベージしやすくていいなとか

*2:等価値に見えるものには優劣を付けるのが人情だけれど、まぁそれはそれで。