モノに対する拘り

昔から形から入る子だった
グローブとバットを買ってから野球を始めたり、バッシュを買ってからバスケを始めたり。
商品のカタログを見ているが一番楽しかったのかもしれない。
大事に使った。毎日グリスを塗ったり、陰干ししたり。
そのうちにボールを捕りたくなくなった。だって汚れるから。
ある時、一番良くボールの飛んでくるポジションであるショートの人のグローブが下駄箱に置かれていた。
ボロボロで、色褪せていて、どこか誇らしげで格好良かった。
自分のグローブと見比べてみた。急に僕のグローブは輝きを失っていた。
僕はグリスを塗ることをやめた。その分、ボールを捕る事でグローブに輝きを与えた。



高校生になってバイクを買った。
まだ余りバイクを持っている人が居なかったからか、バイクを貸して欲しいとよく言われた。
みんなバイクの運転をしたかった。
バイクは偶に傷を作って帰ってきた。主に交差点で立ったまま転んだ(立ちゴケ)だった。
カウルが割れたりもした。最初は悲しかった。
ある時、友人が僕のバイクで派手に転んだ。
友人は傷だらけで戻ってきた。
バイクこかしちゃったよごめんよと言っていた。
おいおいちょっと待てよと、お前のほうが重症だろうどうみても。
バイクの心配してる場合じゃねーよ。痛くねーの?。とりあえず病院行こうぜ?。
治療費がないというのでとりあえず出した。返ってこなかったが。
自分もバイクでよく転んだ、ガードレールに足がぶつかって泣きそうになったりもした。



モノは壊れても痛くないじゃん。と思うようになった。痛いのってやじゃん。
自分が乗っていても、人が乗っていても、モノの天命のようなヤツは変わらないんだと思うようになった。
自分の大切な道具で誰かが傷つくよりは、モノが壊れたほうが良い。身代わり地蔵みたいに。



…唯この性格が災いした事もある。とある山道。切り立った崖に囲まれた。
前は通れたはずの道だったのだが、舗装工事の為に道が狭まり、軽以外の車が通れなくなっている。
かといってここからバックで山道を下る事は不可能に近い。



…まぁいいや行っちゃえ。



がりがりがり、ぼん。
車(親の)は鉛筆削りに削られる鉛筆の如く、左側のサイドミラーがモゲタ。
更に車は進む。ゆっくりと。
がりぼりぼり。
左のドア2枚にも深い爪痕がついた。



…バレタ(もちろん親に)。
凄まじく怒られた。



修理費が異常に高く感じたので(20万越えだったかな?)、オークションで中古のドアを買って取り付けて誤魔化した。(2万くらいで済んだ)
余ったドアをゴミの日にゴミ置き場にこっそり置いた。



持って行ってくれなかった…
そしてまたバレタ。
また怒られた。



自分以外のコレクションやら趣味やらは全てツールでしかない。
使い込めば、それは手足のようにも感じられる。
けれども、そのツールを使って何をするかでまた得るものが変わってくる。
僕は、そのツールを使って何を得たいのか?
ツールの使い方によって機会を損失しては居ないだろうか?
4人も乗れる車に傷がつくのが嫌だからと運転しないのはどこかおかしいから。