Re:何かに依存するくらいなら、自殺します - やや最果てのブログ

依存したくないから何事も楽しめない
こう考えてしまう事が苦痛で生きるのが辛い
そして人を信じる事ができないから胸の内を話せない
という風に僕は読んだ


信じられる人っていうのは積み重ねでしかできないよなぁと思い返しながら考えた
一番長く一緒に居てかつ今も一緒に居る人
ちょっとした一言を言い争った会話を重ねてきた人
自分が今信じられる人というのは弟
くだらない事が原因(コロッケ取ったとか)で馬鹿みたいな喧嘩(刃傷沙汰)ばっかりしてたけど
今じゃ一番信用できるし彼の信用にも応えようとも思う
信じられる人を得るのって何より大変だし
相手に信じてもらう事もものすごいエネルギーを使う
でも気が置けてなんでも話せるような相手っていうのは真には居ないとも思う
弟にも友達にも呑み仲間にも誰にも言えない事だったたくさんある
むしろそっちの方が多い
そーゆーのは夜寝る前にちょっと眺めてみる位にしている
秘密は魅力って誰か言ってなかったっけ



んでなんかふとあ〜と思ったのは(人の事言えないけど)
知識と経験が剥離してるんじゃないかなぁと
考えすぎというか頭でっかちというか
もがいているとか沈んでいく感じがするのは皮膚の経験が頭についていってないからな気がした
ゲームとか映画とかの物語で感動する事
それと同じような感動を皮膚で味わった事があると(えろい意味だけじゃないよ)
多少地に足が着く感じになるかと



で依存
依存って言葉のイメージがなんか負のイメージな気もする
薬物依存とか恋愛依存とか共依存とか
ネットに依存している?
お酒に依存している?
彼女に依存している?
自分に依存している?



でも実際は違う



例えば人間は呼吸しないと生きていけないけれど
息を吸う事を空気に依存しているとは言わない(ひどい言い方だ)
依存するってよりは使うくらいのイメージでいいんじゃないかと馬鹿とハサミは使いよう(馬鹿は自分でハサミはそれ以外の何か)
僕は人間はその場での振舞いが全てだと思っている
振る舞いがその人を決める
楽しかった事とかをあとで振り返って
もう二度とあんな思いはいやだ・・・って思う人いないよね?
それはそのとき楽しめてるんだから楽しんでるでいいかと
後で思い返してしまうのは後の祭り
それを後夜祭として楽しむでも良いし
後片付けとして寂しがるでも良いけど



今書いてて思ったんだけど依存するのがいやだっていうのは
今何かに依存してる事を自覚していてそれがいやなのかなと思った
或いは重たいとか面倒とか
そゆのがあるのなら一回止めてしまうのがいいかと
止めてみるのもひとつの経験
これでやめたいなぁやめたらどうなるだろうなぁ
という思考と皮膚の経験が一致するから悩まなくなるかと



なんかまとまらないけどこんな感じです